2011年6月24日金曜日

南相馬集中物資投下大作戦 ありがとう御座いました!

無事遂行できました。ありがとう御座いました!
そして、南相馬祭りと題して原町第二中学校の体育館で音楽祭も無事開催できる事もできました。
この企画は、地元の人達に音楽聞いてもらって楽しんでもらえたらな、笑い声が一杯聞けたらなと、自分達の一方的な思いで、開催しました。
出演は、ボンボクラと言って、大山モンドから阿川兄弟のケンジ君、ユウジ君兄弟、自分も系統が似ているので、ここでは、三兄弟って事でもいいんじゃないの、の、三人と、大阪、マスターピースのごっちゃんとニヒルの五人バンドが、こっち東北だからこそ結成出来た、この震災が起きたからこそ生まれたバンド、ボンボクラと、永山愛樹、ギター一本でのヨシキ君ライブ、そして、僕たちと、同じビジネスホテル六角に物資を届けに東京から来ていた、我ヲ捨ツル・Bluesoul あと、以前ツイッターで取り上げた、南相馬の小学校で真剣勝負をして見事に空振り三振をした地元の高校生バンド、モスキートロックがライブをし、炊き出しで、音茶屋から山形名物、醤油ベースの芋煮を振舞ってくれました。因みに、宮城や福島は、白味噌ベースの芋煮が名物みたいで、よく山形のヤス君と宮城の陽子ちゃんが、芋煮は、醤油、味噌と張り合っている、こっちの人達にはそれほど愛着がある、郷土料理みたいです。
で、今回は福島の人達に合わせず、山形の芋煮を振舞いました。無茶苦茶、好評でした。
音響は、芋煮は、醤油だと熱く話すヤス君のコネクテック、そして、今回は、ソーラーパネルを使った電力で音響電源を供給してくれた、田口製作所の方たちと、本当にみなさん祭りを盛り上げてくださりありがとう御座いました!!  感謝、感謝です。
南相馬祭りと大層な名前を付けてやっちゃったし、高校生バンドも、もっと練習をして、また、やりたいです!と気持ちよく、どストレートに言われたし、しげちょいって奴なんかは、自分ももっとギター練習して、音痴が良くなるとは、思って無いみたいだけど、また歌いたいっス!て、思ってるみたいだし、回数を重ねて行って、地元の人達が沢山来てくれる様になって、少しでも題名通りの南相馬祭りになってったら良いなと思っちゃったりしちゃったりしているので、また、みなさん一緒にやってちょんまげ!
本当に南相馬祭りをやって良かったなと心の底から思います。
一回目で本当に色々な事が見えたし、感じる事が出来、これからの自分達に生かされていく経験が出来ました。何回も言いますが、本当に全ての人、時間に感謝です!ありがとう御座いました!
老若男女、人を楽しませる、笑わすって凄いことだなと痛感、痛快に想わされました。
自分なんかは、この司会を受け持ったんですが、いや~言えんかったね面白い事一言も、そんな司会者を、暖かく見守り最後まで聞いてってくれた、地元の人達に感謝ですね。
いや~司会者って言うのは、難しいですね。 凄い起爆剤になるんですね!
押忍!いい経験ありがとう御座いました。

そして、南相馬集中投下大作戦に協力して下さった、みんなにも、ありがとう御座いました!
こっちの方も第二回、第三回、とやって行こうと思ってたんですが、一旦物資の募集を止めさせて貰いたいと思います。すいません、あんだけ威勢よく募集をかけといて止めかよって、感じなんですが、今一度しっかり南相馬の現状や、今度は、仮設住宅に住む人達の所に行ってみたりと、今の南相馬は物資を配るお手伝いだけではなく、次は違ったお手伝いがあるのかなって思い始めそこの自分達なりの作戦会議の時間に当てようと思ってる次第で御座います。
みんなが、同じ境遇、環境、生活レベルなら判断しやすいんですが、絶対それぞれ違うので本当難しいんですよね。
もしかしたら、やっぱり何かしらの物資の募集をお願いするかも知れないし、正直な所どうゆう展開になるのか僕たちにも今現在言い切れません。
で、これは愛知県からの情報なんだけど、どうやら愛知県は、愛知県で被災地までも行かずに、愛知で物資が集まっている?余っていると言った方がいいのかもしれないんだけど、そんな場所があるみたいで、わざわざ、みんなに、物資を買って貰って、しかも結構お金が掛かる送料まで出して貰って送って貰うのも、みんなだって簡単にやれることじゃないし、現にそうやって眠っている物資があるなら、そうゆう所から譲って貰い届けた方のが、いいんじゃないのかなと思い、一旦止める理由にもなりました。
だから、これから皆さんには、例えばその愛知から、東北まで届けてくれる人いませんか?とか、どこどこで祭りをするんですが、神輿を担ぐ人が足りないので、一緒に担いでくれる人いませんか?
とか、落語してくれる人いませんか?など、色んな呼びかけをするかもしれないので、これからも皆さん宜しくお願いします。あと、タートルのヨシキ君が始めた、地元に居ながら、自分にもやれ、しかも自分も楽しく活動できる、心の爆弾自由市場って考えついて、やっているので、参加したりしてみたり、参考にしてみちゃったりして下さい。この案は、売る人も買う人も、助かるし、わざわざ買わなくて、不要のお宝などが眠っているなら、眠りから目覚めさせ、必要としている人の所に行って貰っちゃおう、そして、その売り上げを募金しようと、本当に無理なく、無駄なく、楽しみながらやれる企画で凄いいいなと思いました。
震災が起き、三ヶ月が過ぎ、現地も状況が明らかに変わり、進んで行っています。これから先、零アクションは、どんな活動、お手伝いをして行くかはまだ明確には、分かりませんが、また新しく始まったと思っています。
僕たちも、無理なく愉快に楽しく活動をして行こうと思ってますので、
あ‘みなさん~よろしく~お願いします~!!
も~ちょいちょい しげちょい ちょいでした。
じゃあね、さよなら さよなら

2011年6月23日木曜日

活動報告@愛知県久屋公園ズナマ音楽祭

6月17日~21日まで愛知県に行っていました。 

豊田タートルアイランド愛樹くんオーガナイズのチャリティーイベント『ズナマ音楽祭』にて活動報告の写真の展示をしてきました次第です。

何を創りだすにしろ大変な作業です。あのスペースで何ができたのか、もっとうまいやり方があった気がしてならない今日この頃。それでも任されたあの時点では精一杯創りました。次回の展示ではもう少しうまいことやりたいです。みんな見てくれたかなー。

それと、team零actionにいろいろな繋がりができ、その繋がりから支援金が集まっていることに心より感謝いたします。本当に本当にありがとうございます。

支援していただいたみなさんです。

・愛知県豊田 TURTLE ISLAND(タートルアイランド)
・山形蔵王温泉協会青年部/蔵王龍岩祭実行委員会『助け愛プロジェクト』
・鳥取米子 大山MONDO
・日本バーテンダー協会島根支部
・日本バーテンダー協会出雲支部
・沖縄、京都ゲストハウス 月光荘
・大阪ポレポレ工房
・くじらうお・名古屋 アフリカ雑貨アイニィ ・大阪 マスターピース ・豊橋 ミニミニ 
・ウチヤマタロウ君・ハラグチレイコさん ・松島大介海外のお友達のみなさん
・仙台さくらさんチーム ・ユキハシマサエさん

                                  以上 順不同です

そして支援金、義援金だけでなくお米やお水、野菜、衣類、バスケットゴール、
絵本やおもちゃなど・・・たくさんの支援物資を提供していただいたみなさんに心から感謝いたします

これからもなるべく間を空けずに活動報告をしていけるように頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

仙台を含めた東北地方は本格的な梅雨に入りました。
体調に気をつけて日々活動していきたいと思います。

それではまたのちほど~☆

                 零アクションメンバーyokoより愛を込めて☆
   

2011年6月12日日曜日

炊き出し5回目

5/29(日曜)に東松島市の大塩市民センターに炊き出しに行って来た 

今回で炊き出しも5回目。 
だいぶ慣れて来てチームメンバーも手際良く終止スムーズに進んだ 


ここは棟続きで体育館と繋がってて、そこに被災者の方達が避難している状態 
震災当初は約800人も避難していたらしい 

今は、知人や親戚、仮設住宅などに移り100人の避難者の方達が居ました 


今回、被災者の中に将来料理人になりたい中学三年のタケヤって子が居て、その子が野菜スープを作りたいって事で、ゼロアクションでサポートする事に。 


メニューは 
①鶏そぼろとごぼうの炊き込みご飯(俺が担当) 

②トマト仕立ての野菜スープ(タケヤ担当) 

そして炊き出しの依頼をサポートしてくれた地元サクラちゃん女子チームが焙煎コーヒーと手作りケーキのデザート 
サクラちゃんチームのマキコちゃんとマユコちゃんも手伝ってくれてホント助かりました 

結構立派な昼食となった 

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炊き込みごはんと野菜スープは好評でオカワリ続出♪ 
作ってる自分達は嬉しい限りです 

ここは立派な調理室があり、その気になればいくらでも料理が出来る。 
自衛隊の炊き出し配給も終わってしまい、今は毎日冷たい弁当が届くらしい 

是非、辛くても自分達で炊き出しをして欲しいと思う 
必要な食材等があれば出来る限り物資として届けます。と事務方の人にお願いしてきました 



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三重の酋長&まっちゃんが送ってくれた応援寄せ書きをココにも貼ってきました 

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小さな子供達が元気に走り回っている姿に救われた 


そしてタケヤが俺の事を料理の師匠と言いこれからも料理を続けて行きたい。と、話す姿が心強く、清々しく感じたオッサンでした 







ozizi

2011年6月5日日曜日

〜求む〜

                支援物資大募集!!

チーム零アクション兼子笑事は現在 南相馬市の自宅避難の人たちへ支援物資を届けています

南相馬市は原発問題も含め、食料等が極端に不足している為、住民の人達は毎日不安な生活を送り続けています


ほんのわずかな食料を皆で分け少しずつ大切に食べながらの生活を続けて行かなければなりません

4月初めの物資支援から始まり、これまで全国の方々から色んな支援物資を頂き、現地へ届けてきました。有難う御座いました。

僕らも、日々食料等の物資を集めてきましたが、震災当初は全国から沢山の物資が届けられていましたが、早三ヶ月余り経ち、被災地への送られてくる物資の量が段々少なくなってきている現状は否めません。その状況の中、こちらでの収集は中々十分な量を集めきれないのが現実です。

今後、これまで通り、南相馬市にて食料、衣類、生活必需品などの物資を配りたいと考えています。


以上のことから今回は第一弾として6月15日まで兼子笑事基地着で『米と日持ちする野菜』を大募集します!!

本来なら、米、野菜や生活必需品や衣類など、全般で大募集をかけたいところなんだけども、実際、全部を仕分ける環境、人員が整っていない状態です。だから、今回、第一弾は、米と日持ちする野菜の二種類と限定させてもらいました。
今後の展開としては、今まで通り週に1回、月4回、南相馬にみんなから頂いた物資を投下したいと思っています。
徐々に、今週はこれとこれ、来週はあれとあれ、みたいな感じで月4回募集をかけるようにしていきたいので、毎週協力してくれちゃってもいいし(笑)、月1回の参加でも助かります。南相馬のみんなの笑顔も増えると思います!

全国の方々!そして今まで協力してくれた仲間達、個人でも団体さんでもオッケーです。
原発の問題が終息するまでの長い戦いになると思っていますので、みんなのご協力大募集!

大変長らくお待たせしました!
チーム零アクション兼子笑事(現場)より物資の呼びかけがやっと本格的に出来る運びになりました!

・・・長過ぎましたね、でも、今一度、宜しく〜お願い〜ア、致しまぁ~〜すぅ~~ぅ~~


♫~そろそろ本気をだしたろか~♫!
♫~俺らの力を見せたろか~♫!

みなさ〜〜〜〜〜ん 時間ですよぉ〜〜〜♫


         『南相馬物資集中投下大作戦!』


               ♬ 物 資 解 禁  



兼子笑事 基地住所
〒989-0901 宮城県柴田郡川崎町前川手代塚山2-85
TEAM 零 ACTION 兼子笑事  兼子賀安(しげやす) 社員一同(笑)
TEL 080-6910-7805

炊き出し3、4回目

毎日の内容が濃すぎて頭と気持ちの整理が全然つかない状態。

一日一日があっ!!っとゆー間に過ぎる感覚と裏腹に日々の内容の濃さに一週間前に共に活動した仲間との記憶が一月以上に感じてしまったり・・・とても不思議な感覚。


今回は3回炊き出しに行きました


5/7東松島市奥松島/宮戸島 山形名物ひっぱりうどん&みかん付き


5/8山元町/少年の森での地元復興イベント 玉こん&からあげ


今回は連投でマジで必死でした。

炊き出し以外の日は泥出しに他のメンバーが行って頑張っていました

俺も泥出しに参加したかったけど、炊き出しの準備や足りない食材等の買い出し、
助け愛ボス=ヤス、タートル=ヨシキ達と作戦練ったり、動きっぱなしのしげやすとのやりとりなどなど。

そして新しく知り合った地元宮城で活動されているNPO法人の方と打ち合わせしたりと、いくら時間があっても足りない程のスピード。

この10日間で俺のおじいちゃん軽ワゴンは2000km以上も走りきり、終いにマフラーに穴が空き族車ばりの爆音です(笑)


写真は忙しすぎて取れていません。

月曜から自前の工事に入りました
週末は仙台のお客さんトコのトイレ改修工事と本業でも馬車馬状態


本業が忙しくなればボランティア活動も手薄になる...
しかし収入がなければ家長として家族を守って行けない


憤りを感じる部分はあるけれど、これまた人間が生きて行く上でしょうがない



帰ってきて久しぶりにテレビを見れば通常の放送に戻ってきている。「ホント日本人って平和ボケ・・・民族」「悲惨な戦争や原爆を乗り越えて復活してきた国なのに」
俺らのじいさん、ばあさん、親父やお袋達はどうやってあの焼け野原から復活してきたのだろうか?
今度親父に会った時聞いてみよう。


そのテレビ=民放に対して俺的にはもっと情報を流せや!!と切実に思う
ちょっと落ち着いた感じが出て来たらすぐに通常に戻そうとする
原発なんかまだまだ大変な問題を抱えているのに半日テレビをつけていても一瞬程しか出てこない。どうかしてる・・・


Ozizi

2011年6月4日土曜日

炊き出し2回目

5/3(日)

山元町は坂元中学校に夕飯用のおかずの炊き出しに行って来た。

今回のメンバーは兼子笑事社長、陽子取締役、江戸から来たジョニー松っちゃん、三重の酋長(しゅうちょう)、奥さんのまっちゃん、鳥取の憲次君、名古屋の蒲田君、テツオ君、そして俺、カミさん、ウチのガキ達未菜/勇希の12人。

メニューはキャベツの千切りサラダに唐揚げと野菜たっぷりの煮物、デザートにリンゴとみかん。


前回行った炊き出しの時は結構、油っぽい物が多くて、被災者の人達もそろそろ油系は飽きて来たんじゃないのか?
の作戦会議で話し合い。
子供からおじいちゃん、おばあちゃん達が抵抗なく食べられる煮物がいいべ!
って事で決定

唐揚げ番長は三重の酋長 35年の中華の達人。
煮物は俺が担当。

現地着から段取りして寸胴鍋に火を入れるも、凄い強風で鍋の温度が上がらずかなり苦戦。
結局、5時からの配膳スタートが40分遅れになってしまった。

前回の炊き出しでお世話になった先生も駆けつけてくれて何とか被災者100人分+スタッフ20人分+仮設住宅の人達150人分位の合計270位を出す事が出来た。

被災者の人達は唐揚げも煮物も炊き出しで貰うのは今回が初めてらしく、とても喜んで頂いた。



自分も直接声を掛け、味付けの意見を聞いたり、次はどんな食べ物が食べたいか?など聞いて廻り短い会話だけど色んな話や考えを聞く事が出来た。

帰る前に全員で被災者の人達にしげやす社長があいさつをし、笑顔で迎え入れてくれておいしいって食べて頂いたみなさんに感謝の気持ちを伝えた。

体育館中に拍手が沸き起こり、「ありがとう」の言葉を貰った。
いい歳こいたおじいちゃんが「一緒に写真取ってくれ!」と記念撮影したり、お母さん達は「また来てね。待ってるからね。」って・・・



そして唐揚げ番長酋長は感極まって男泣き。
「こんな有り難い事はない。50年生きて来て今まで色んな事があったけど涙がとまんねーよ。。。来てよかった!!」奥さんと二人で泣いてた。



帰路につく時、強風の吹き付ける外でずーっと手を振って見送ってくれたお母さん。
すげー嬉しかったよ。
そんで涙で潤んでもう少しで車を側溝に落とすトコだったよ。

ありがとう。また行くからね。

仮設住宅が少しづつ出来てきて避難所の人達も減り始めた事はとても喜ぶべき事
被災者の人達がとりあえず自分の生活出来る環境になれば炊き出しの活動も減って行くだろう。

でも、日々変化する被災地の動きにあわせて動かなきゃ行けない
それでもやれる事はまだまだ沢山あってこれからは違う形での助け愛に変化して行くだろう。


Ozizi

2011年6月3日金曜日

大変長らくお待たせしました!!

うぅん、うん、うん、え〜みなさん、大変、永らくお待ちどう様でした☆
もぉ〜こっちの事なんか忘れてたんじゃ無いんですか、困りますね〜!なんちゃって!
それとも、常にタートルのホームページを、まだか、まだか、とチェックして思ってくれてた人、本当にすんませんでした。
こっちに来て、順調にバタバタしてて、なかなか報告の方の時間も無く、報告内容もまとまらなかった為できなかったんです。
 
でも、ここでひとまず、初日から今日までの活動内容の方をザックリだけど、報告できる状態まで来たので、発表します。
まず、4月6日に現地に入り一発目に、豚汁の炊き出しと、みんなから頂いた物資の方を届ける事から始まり、あれよあれよと、気ずけば1ヶ月経っていました。
 
その間、避難所にみんなで、炊き出しに行ったり、蔵王チームの助け合い活動の炊き出しを手伝いに行ったり、仙台にある老舗のライブハウス、バードランドのオーナーのジュンイチさんと出会い、自分達も、勿論、被災してるし、地震が起きた日から、停電など全て使えない状態のバードランドにみんな集まって、生活をしていました。
 
そんな集まった仲間達と足りない所に、地元ならではの、情報を沢山集め、物資を義援金で集まったお金で、買ってピンポイントに届けたり、仙台の若林区と言う津波が押し寄せた最終地点の区域で、家は流されていないが一階は水びだしになり、泥やあらいる色々な物が庭に散乱している家を、人力で片づけ作業をしていると言うことで、なんせ人手が多ければ多い程いいので、手伝いに行ったりしてます。
 
この泥出し&片づけ作業が、僕達みたいな、若造でも本当に大変なんだけど、これを、家の人、しかも大体の家の息子や娘はどこかの土地に出て行っていて、家には、50過ぎの自分達の親の世代や、さらには、もっと上のおじいちゃん、おばあちゃん達しか残っていないから、片づけるといっても、限界があるし、泥出しなんかもできっこなく、泥だって一軒の家だけでも、一輪車で少ない所で100杯以上ありしかも50メーター位離れている道路の脇に出さないといけなく、そんな作業をおじいちゃん、おばあちゃんがやれる訳なく、大変な状況です。だから、出来るだけ人手を集めて手伝いに行っています!
 
あと、福島県の南相馬市と言う町に物資を届けています。
ここは、原発から30キロ圏内の場所に位置するんだけど、まず、20キロ圏内の人達は強制退避、20キロ圏内は屋内退避区域に指定されている場所です。
海岸沿いは津波の被害を強烈に受けているんだけど、街の方は地震の被害だけで一見街の方は、建物はあるし見た目は生きてるなと思えるんだけど、どのお店もやって無く、車も全然走っていなく、むちゃくちゃ静かで、町全体に、暗く分厚い雲に覆われたゴーストタウンと言った感じです。
 
津波の被害で、家が流され無くなった人は避難所暮らしをしている人達、家がある人は、屋内退避避難命令が出ている為、自宅避難をしている人達がいます。
一度、避難所や県外に出て暮らしていたんだけど避難所の団体生活が段々辛くなったり、県外に避難した人達も結局は、誰か人の家にお世話になる生活になる為何かしらのストレスや精神的にきつくなったり、こんな話を聴きました、埼玉に避難したおばさんが、埼玉のスーパーに買い物に行った時にお米を撰んでいる時に、山形産、新潟産、福島産とお米が並んでいて福島産のお米を手にとった時に、一人のおばさんが隣にやってきて、そのお米はやめた方がいいですよっていきなり言われたみたいで、
え、どうしてですかって聞き返したら、
だって、それ福島産だよ、放射能って言われて、
 
私、南相馬ですけど!
って言ったら、
 
ごめんなさいって言って、足早に去って行ったんですよ、私悔しくて、って涙ボロボロ流しながら、話してくれました。みんな良く、良く、考えて下さい!
今は5月、今回の地震は3月、その間にお米が収穫されますか?
お米にいたっては、地震が起こる、去年のなんですよね
これが言わいる、風評被害って奴なのかなって僕は思います!
みんな、もうちょっと冷静に判断して、福島の人達を助けてあげてくださいね!
 
東京電力の福島第一原発は、そんな関東に電気を供給する為に全く関係ない東北の福島に建てられて、爆発して放射能が漏れたら、福島県は放射能に汚染された県とみんなに差別され、近寄るのも嫌がられる状況になり、他県にいったら行ったで、日常生活でそんな思いをしながら暮らさないと行けないなら、やっぱり、故郷に戻りたいと思い一度避難した人達は、ほとんどの人達が戻って来ている状況です!
だって、地震の被害だけで家がある人達は、普段通りの生活が出来るんだからね。
放射能の問題なんだよね、目に見えない、匂わないから、気よ付けたり、危機感が薄れていってしまい、みんな放射能対策を全然せずに暮らしていく状況にあります!
 
何とか、少しずつ、みんな意識して生活してもらえるように、自分達なりに、伝えたり、行動していきたいと思っています!
最後におばさんが、なんで関東の人達の為に作られた発電所で私達がこんな思いをしないといけないのって悔しがって話してくれました。
これが、福島県の現状だと思います。
 
それで、そんな南相馬での生活に問題があります!
放射能です!
30キロ圏内の人達は、自宅避難の為、外に外出も自由にいけず、少しの時間しか出れないし、前にも書いたように、山田電気やカインズホームなど大手企業は閉店、撤退が決まり、スーパーや銀行などあらゆる店がやっていません。これは、お店の人がどこかに避難しているからやっていないのもあるんだけど、物流が南相馬の場合完璧にストップと言うか遮断され、届かないと言う理由があります。
例えば、自分が運送会社の社長で物資を運ぶ仕事が依頼されたとします、勿論、喜んで運ぶと思います。ただ、30キロ圏内で放射能がバンバン飛んでいると思われる南相馬に自分の所の大事な会社の社員を被爆するかもしれない危険な場所に行ってこいと言えますか?言えませんよね、大事な社員に。
 
あと、会社のトラックだって、放射能がついて帰って来る訳だから、やですよね。
だから、この状況はしょうがないのかなって思います。
だからこそ、行政などがそう言った運送会社に詳しく、今の放射能の状況や、対策などをしっかり伝えて、理解して貰った上で考えて貰わないと、運送会社の社長だって、テレビやインターネットの情報しか無いため実際の所どうなんだって判断できないと思うんですよね、だからこそ、行政には、正しい正確な状況をちゃんと分かり易く説明して貰いたいと僕は思います、早いとこ、全てを認めて、嘘で塗り固めるんじゃなく、これから先の事を全力で考える政治に切り替わる事を願います!
 
で、そんな事情などで、南相馬は完璧に放射能でおせんされていると言う情報や感覚で完全に孤立した街になってしまいました。
これは、福島県全体で言える状況だと僕は思います。
福島県や福島県出身と聞いただけで放射能って始めに思いますよね!
そんな中でも、南相馬の人達は必死に一生懸命明るく生活をしてがんばっぺます。
 
その、南相馬の国道6号線沿いにある、距離でいったら、21キロ圏内にある、ビジネスホテル六角と言う所の大留さん、僕達は団長と呼んでるんですが、相馬や南相馬に物資を沢山運んでいる奴らがいると聴いたみたいで、人伝いに連絡があり、ここにも物資を持って来てくれないかとお願いがあり、六角に物資を運ぶ事になりました。六角では、そこを物資の収集所とし、地元のおばちゃん達やお姉ちゃん達が仕分けをし、1家族分の食料やトイレットペーパーなどの消耗品を色々詰め合わせて、1家族1袋にし自宅避難や借家に避難している人達が各々車で取りに来る形で配給され、少ない物資をみんなで分け合い助けあっています!みんなから、頂いた物資のほとんどはここに届けられ、 これから集まった物資も、ほとんどここに届ける予定です。
自分達には、南相馬の六角の場所と出会った為、六角を中心に物資を届けようと思ってますんで、みんな、集めて欲しい物資がある時は連絡しますので、宜しくお願いします。
本当に喜んで、嬉しそうに帰って行くんですよ!
この六角の場所で物資が貰えると言う情報は、行政からお知らせしてもらったりとかではなく、口コミだけで広がっています。
 
僕達が初めに行った時は、4月16日なんだけどその時は始まって数回だったので、30人位だったんだけど、5月12日の時点で、400人以上の人が1日に取りに来るほどで、六角渋滞が出来るほど広まっています!
本当に、取りに来る人達は、凄い喜んで持って帰るし、あ〜野菜だとか、その日貰える物を見て、みんな目を輝かせて貰って帰ったり、本当にありがとう、助かりますって言って帰って行きます。
 
幸いに、物資の方は、こっちに来てから出会った人達やボランティア団体のお陰でその人達の所に集まった物資を分けて貰い集めて、南相馬に運ぶと言う流れで届けています。
宮城県の方はある意味テレビなどでバンバン放送されてるお陰で有名になり、全国から物資がどんどん集まり、逆に集まり過ぎて捌ききれてない状態にある為、それなら足りて無い所に持って行ってあげて下さいと言う事で分けて貰い南相馬に届けています。
だから、現地調達が出来る環境になってきているので、みんなには、物資を集めたり、かって貰うのを今、待って貰っている状況になっちゃっているんですよね。
でも、皆さんも何か遠くに居ても、協力や力になりたいと言う気持ちは解りますので、何か、お願いしたいんだけど、明確にお願いする事がもう少しで出てくる所まで来ているので、もうちょっと待ってて下さい!!
とにかく、こっちに来て本当に沢山の人と出逢い、どんどん、どんどん繋がっていき、末広がりに広がって行く感じが、凄く実感しながら、日々こっちで、このような活動をしています。
楽しく、生き生きと生活をしています。
 
拠点となる基地、零基地も巡り巡って、仙台に住む大家さん、会田さんと出逢い、勿論、今回の震災で被災しているんだけど、何か自分も力に、支援したいと思っていた所に、僕達が基地を探していると聞き、逆にそうやって復興に向けてお手伝いをしに来ている人達に宮城蔵王の青根にある別荘を無償で使って欲しいと思ってくれたみたいです。
僕達を、後方支援の形っ協力してくれる形になり、そこを拠点に全国、栃木、神奈川、静岡、愛知三重、大阪、鳥取、沖縄と言った感じで、友達がここに、入れ替わり、立ち替わり来て活動して帰ったり、早くも、二回来たりしている人もいます。
 
そんな感じで、気ずけば1ヶ月経ち目まぐるしく、毎日の状況も変わるし気持ちも変わりながら、バリバリ元気に生活をしている次第で御座います!
これからの報告は、そう言った一日一日の活動内容を出来るだけ多く報告していこうと思っている次第ですので、みんな、こっちからの報告を楽しみになるように、忘れられないように、がんばっぺ報告していきます!
報告が遅過ぎて、熱い気持ちが冷めてしまったかもしれませんが、今一度、タートルのホームページを見て、熱い気持ちを取り戻して下さりませ。
なかなか更新できないかも知れませんが、早め、早めに、報告します。
ので、たまには、思い出して見てくださいね!
ちなみに、僕はよく解らないんだけど、ツイッターとインターネット上で写真を共有出来る所があるみたいなので、そのアドレスとかも用意できたら、報告しますので、チェケラしてください!
では、これでひとまず、こっちに来てからの報告は終了します。
ご静聴ありがとう御座いました!
タートルアイランドちょっと遠くなった近所のしげチョイでした。
バイバイ アミーゴ
 
と見せかけて、ツイッターはすでに始まっています。
アカウントは、@teamzeroactionです。
良かったら、チェケラーしてください!
では、バイバイ アミーゴ!
5月12日現在、福島県南相馬市は、4つある内の1つのスーパーは開いたり銀行や物流は少しずつ回復してきたけど、まだまだ全然です。


兼子笑事/しげちょい

泥出し初参戦

4/24若林区の被災地家屋へ仙台LIVEハウスオーナー/バートランドの淳一隊長の案内で泥出しに行って来た

バートランドクルー2名 仙台陽子ちゃん 栃木Pちゃん 社長しげやす、奥ちゃん、ミニミニ 俺と8人編成


仙台バイパスから海側(荒浜)に進み東部道路を越えた集落
周りは田んぼが広がる場所だが辺り一面、津波に流されたゴミや家屋、藁と経泥まみれ・・・

早速、藁フォークとスコップでネコ(一輪車)に積み農道の脇に山にしながら搬出
藁のにおいと海水、ヘドロその他色んなもんが混ざったにおいと、長靴がヘドロにぬかるみながら作業は進む




ここは津波が来た最終地点で周りの家屋は生き残っていたが津波の水位は一回の窓より上まで来たらしい

食事休憩後、午後も作業をし4時までやった
どこから派遣されて来たのかわかんないけど、もう一班泥出しのボランティアチームも来て、2チームで合計大型ダンプ3台分位の藁と木くず、ヘドロを出した


家主さん「余りの量に途方に暮れてました。手伝って頂いて本当に助かった。。。」と喜んでくれました





ヘドロとゴミの中からふきのとうが新しい芽を出していた


お母さんが大切な絵や写真を洗ってた


作業後、バートランドクルーと愛知へ帰る奥ちゃん、ミニミニと別れ、荒浜へ行ってみよう・・・
って事で行ってみた



・・・200mくらい進むたびに景色がどんどん変わっていく
何にも無い。あったはずの物が。。。
瓦礫と不動車ぐちゃぐちゃに積み上げられた色んな物

荒浜海岸に着き、海を見る
ヘッドオーバーの波
海岸はきれいでした
きっと、全部持っていっちゃったんだろう

テトラポットも崩れてて、波がデカかった

振り返ると数キロ先まで続く瓦礫の景色の向こうに仙台の中心街のビル群が霞んで見える

富と貧困が重なり合った風景

言葉にならない感情が沸き上がる

堤防に立つと陸と海が同じ景色として見れない

自然と人工の境界線に立っている気がした

ただただ自然の力を認めざるをえない世界/風景に色んな思いが波の様に浮かんでは消え、上手に当てはまる言葉が見つからなくて、くちびるを噛み締めるしか無かった・・・


それでも進むしかない
何度打ち、叩かれようとも人間は進んで行くしかない
出来る事を少しずつ・・・


Ozizi

3.11から1ヶ月

自分もやっと少しずつではあるが、仕事が入り始めた

今日は実家の近くの現場で夜上がりしてから実家に廻りお茶飲みながら、雑談。
テレビのニュースで三陸の小五の女の子がお母さんと弟二人を捜す様子が流れてた。
娘=未菜とたった一つ違い。。。


涙をこらえてお母さん、二人の弟、おばあちゃんの事をカメラに向かって気丈に話す姿

後日遺体で見つかったお母さん、弟達、おばあちゃん
車で逃げる途中で津波に襲われ、溺死で顔が黒くなってしまって、おかあさんや兄弟達に最後のお別れも出来ないこの子・・・

お母さんや弟達にちゃんと最後のお別れがしたい!と悲願するも遺体の状態が酷い為に会わせる事が出来ない

それでも「お母さんに会いたいよぉ~」と・・・

やりきれない・・・
目頭が熱くなる・・・

この子がもし未菜だったら?
思わずそう考えてしまう。


絶対に忘れちゃいけない。


そして、5時過ぎの余震。。。山形/中山町震度5強 またかよぉ・・・

家に着き夕暮れで暗くなったリビングのソファーでオドオドした様子で愛犬プー太郎が震えてた...

「プー太郎!」と声を掛け白内障で見えないこいつはニオイをたよりにあっちこっちぶつかりながら俺を捜し寄ってくる

抱きしめ「大丈夫だよ・・・」と声を掛けてもしばらく震えてた


頼むよ・・・・神さん!!
もう、十分だろうよ!!!


Ozizi

炊き出し1回目

龍岩祭でおなじみの愛知のパンク楽団=TURTLE ISLAND/ヨシキ、コウ君。兼子笑事社長=しげやす、豊田、豊橋から5名の仲間達 音茶屋/サウンドコネクテック/ヤス、ヤリ、もっさん
TRANSMITの西田君 岡田産業/パウダーガイドのおかん 俺と娘未菜(小4)で行ってきました。


前日、蔵王松金屋さんの駐車場一角をお借りして、愛知から運んできた支援物資の仕分け~炊き出し(豚汁)の仕込みをした
俺がボランティアに参加している事を聞いた長女未菜=小4は自分も参加したいと言い出した
親父の俺も自発的に言い出した娘に嬉しくもあり、みんなの承諾が取れたら参加させよう。って事に
しかし原発から北に55kmと放射能の危険性も少なくない地区
子供が一番危険性がある事。将来未菜自身が子供を授かった時に悪影響がないか?
遊びじゃない被災地でのボランティア活動。龍岩祭でそば屋の手伝いとはまったく意味が違う事。いろんな意味で悩みました。。。

結果、帰ってから本人と話し合い、俺との約束事をちゃんと守る条件で参加させる事に決めた
① 他のメンバーの邪魔にならない事
② 親父、人に頼らず、自分の口で言って大人の人から仕事を分けてもらう事
③ 辛くても泣き言を言ったり、泣いたり、甘えたりしない事
④ あいさつをし、話すときはハッキリと言う事
以上の4つの約束事

4/6自宅5時出発~現地着8:30の予定が渋滞の為30分遅れだったけど無事に9時に到着

支援物資の班と炊き出し班に分かれての作業に入りました

 現地では波乗りが好きで笠野の海岸から歩いて3分に家を建てた山下中の先生にサポートして頂いた。「先生の自宅は生き残ったものの、使えるものは2階にあった少しの日常品、ベッド位だったらしい・・・瓦礫の中からロングボード1本とヘドロだらけのハンチング帽。その帽子を何度も洗い色褪せたその帽子にみんなで寄せ書きしてきました」
(家25年ローン建てて15年払ってやっと利子返した位で元金はこれからなんだよね~)なんて苦笑いながら話す姿。
自分の事は二の次に教育者として子供達や地域の人達の為に頑張っている。サーファーでバンドマンな男気溢れるちょいワルオヤジ先生!

隣のブースは同じ山形県小国町から集まった人達
一人元気のいい奥さんはなんと蔵王上野出身で宮城に嫁いできた奥さんもいたりしてお互い協力しながらの炊き出しでした
 

ここの中学校には400人強の被災者の方達がいました
一番多かった時は700人以上がいたそうです。少しずつ帰れる様になり今いる人達は本当に住む所を無くした人達でした


ヤス、ヨシキ、おかん達はここよりもっと放射能がヤバい地域東相馬に物資を届けに行きました
ヨシキは週末LIVEがある為、東相馬から愛知にトンボ帰り、LIVE終わったらまた戻って来るそう!!ヨシキの即興も見たかった!残念!!

無事全員に行き渡り多めに作って余った豚汁&小国クルーと合同で名取文化センターにも行って欲しいとの要請があり、早々片付け14:00に名取に向け再出発

常磐道を通って名取に向かう車中、いつも行ってた閖上の河口が見えた
常磐道の土盛りで津波が止まったようで畑や町並み至る所で瓦礫や流された車の全然違う風景に唖然・・・いつも遊ばせて貰っていた場所が余りの変わり様に涙が出た
毎年、仲間家族とキャンプしてサーフトリップしている公園も遠目だけど無くなってた
仙台空港インターで降りたから見れなかったけど、その先の名取海岸線はもっと何倍も酷いらしい
名取の避難者のおばちゃんが「高速のすぐ脇に漁船やいろんな物がぐちゃぐちゃになってるから今度来た時行って見てきてごらん。」って教えてくれた

14:30過ぎ、文化センターに到着
17:30の配膳に早速準備を始める

空き時間で又先生達セッション
今度はベースもアコギも増え、豊橋の谷ちょいも参加
 

ここでは200食を配った
避難所での火を使っての料理が出来ないため被災者の人達は野菜が取れない環境らしい
小国クルーはおにぎり、唐揚げ、玉こん(俺が作ったんだけど)野菜サラダ、肉野菜炒めと沢山の種類を炊き出ししました

被災者の人達は遠慮がちに「ありがとう。温かい食べ物がすごく嬉しい」
って、喜んでくれた

小学生のちびっ子達はしげやすと仲良くなって走り回ってた。
蹴りとか入れてくるクソガキもいたけど、酷い環境の変化にストレスが溜まり発散出来ず悪さをするようになったのかもしれない
ま、度が過ぎる事をした子供はしっかり、先生と俺に叱られました(笑)
それでも甘えてくる子供は「おじちゃんだっこして座って~」って来る子もいた


名取での炊き出しが終わったのが、夜の7時過ぎ。辺りはすっかり暗くなり、ぽかぽか天気だったのも浜風が吹きグンと気温が落ちた頃でした

最後、山下の先生、小国クルーの人達と讃え合い、又再会する事を約束して解散しました

未菜も丸一日たちっぱなしで、最後は苦笑いしながら「足が苦しい」って
でも、親父との約束を守り最後までやり抜いた娘が誇らしいと思った

余程疲れていたんだろう。。。助手席に乗り、5分と経たないうちに寝息をたててた

高速に乗る前の最後のコンビニで愛知の4人と電話の交換をし、笑顔で固い握手を交わし「また会おう!」と約束して彼らは蔵王の宿に帰って行った

一人運転中、被災した人達の境遇を思い返し、自分がその境遇でもし家族や親戚、友人を失ったら・・・と思うとやりきれない気持ちと怒りが湧いた

テレビやネット、ニュースで見る情報、映像なんかじゃ絶対伝わらない現場
人として親として人間として自分はどうあるべきか?

民放テレビ番組も通常のお笑いやバラエティー番組が流れ、この悲惨な震災が徐々に忘れさられようとしている世の中

現実と非現実

変わらない毎日とその裏側にある悲惨な毎日

俺はそのどっちも見る事、体験する事が出来たから絶対に忘れないし、今回の経験を肥やしにして生きて行けると思う
未菜もそうあって欲しい

今後も自分が出来る事を続けて行こうと思う




Ozizi